セレニティカウンセリングルーム

ほめられたときは控えめに拒否?

先頃、2012年のロンドンオリンピックに向けて、英国観光局が旅行者に接する際のマナーについて発表したそうです。ロシア、日本、カナダ、中国等々、各国の特徴に併せてどう接したらよいかが列挙されていました。おおむね当たっていそうな気がするものもあれば、ちょっと首をかしげたくなるものや、なるほどそうかもしれないなあと納得できるものなどなど、面白く読みました。いろいろあった中で、私の一番気になったのはこれです。

・中国人にほめられたときには、「ありがとう」と喜んではいけない。謙虚に、軽く否定するのがよい。(大体こんな感じの内容)

これは日本人に当てはまりそうな気がしますが、中国の人もそうなんでしょうか。中国と言っても広いし、民族によっても違うでしょうが・・・。以前、(名前から推測してたぶん)ウイグル自治区方面の出身と思われる若い女性とお話ししたことがありますが、とてもつつましやかで、彼女の語る家族や周囲の様子からも、謙虚な民族性を感じました。

それはさておき、ほめられたときに「ありがとう」ではなく、「いえ、そんなことありません」などと軽く拒否をするのは、私たち日本人に馴染みのやり方ですね。では、素直にありがとうと言ったときはどうなのか。ほめた人はどう感じるか、どんな印象を持つか、言った人は言ってみてどうだったか。そんなことをロールプレイで体験してみることを、毎月ワークショップでやっています。その結果、素直に「ありがとう」と言ってみると、ほめた方も嬉しいことが多いということが、実際にワークショップの感想で多く語られます。

アサーション・トレーニングはもともと欧米から入ってきたものなので、個人の自己表現を尊重するこのトレーニングでは、日本人からすると、こういう言い方はどう逆立ちしてもできないだろうと思うような表現の仕方に出会うこともたまにありますが、しかしその違いに気づくことで、逆に私たちのふだんの表現方法の特徴や問題となりそうな点を浮き彫りにしてくれることにもなります。

本家本元の英国が東洋人の表現方法に併せてくれたのでは、せっかく文化の違いに気づくチャンス、違いの面白さを味わう機会が失われてしまわないかしら、とちょっぴり気になります。「郷に入っては郷に従え」、事件やおおごとにならない範囲でなら、「意外!」「ビックリ!」といったお国柄による接客のズレも、また旅行の楽しさでもあるし・・・。客人をもてなす基本姿勢としては◎、と思いますけどね。

いずれにせよ、接待にあれこれ気をもむのは、個人も国も同じなのですね。

ジョニー・ウィアー選手と糸井重里さんの対談

今年2月、カナダで行われたバンクーバー冬季オリンピックで、とても魅了されたスケーターがいました。アメリカのジョニー・ウィアー選手です。特に、そのフリープログラムは感動的でした。技術と芸術性の高さを併せ持つ、魅力的な世界を創りだして見せてくれました。

そんなジョニーが糸井重里さんと対談をしました。二人の話の内容がステキです。二人を包むオフィスの雰囲気もいい感じ。詳細はこちらを→「ほぼ日刊イトイ新聞」
写真もいっぱいありますよ。+動画も。

(「ジョニー」って呼び捨てなのに、糸井さんには「さん」付け・・・。ジョニー、ごめん!)

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フィギュアスケートはぼくの表現であり、
芸術であり、絵であり、ファッションであり、
ぼくのすべて、ぼくの言葉なんです。
ぼくはそこで魂から伝えます。
氷から離れたとき、どちらかというと
ぼくは心(ハート)によって行動します。
ぼくにとって、魂と心は、違うものです。
魂は、生まれてからずっと自分の奥にあって、
死ぬとき最後にそれを感じるようなもの。
ハートは、「その人らしさ」をつくっている。
顔だったり、個性だったり、生きる力だったり。

(糸井)
「あのなかで、あなたを批判する、 こんな発言が出てきますよね。『彼は、私たちのコミュニティを代表していない』って。でも、誰もなにかのコミュニティを代表することなんて、ほんとはできない。それを誰よりも表現しているあなたが、みんなの前に立っている。それがぼくはすばらしいなと思ったんです」

ぼくが代表できるのは
「ジョニー・ウィアー」だけ。
誰かにについていくことには興味がなくて、
自分がついていきたいなと思うのは、
自分の魂とハートだけです。
ぼくにはそれで十分。
誰かに受け入れてほしいとも思わない。
I don’t represent any community because I represent Johnny Weir. I have no interest in following anyone. I follow myself. I follow my heart and soul, and that’s enough for me. I don’ feel I need to be accepted by anyone.

それぞれの人たちがいて、
それぞれのコミュニティがあるってことを
認め合って、尊重し合うような
世界になってほしいなと思います。
There are different communities and different people. I ask the world to accept and respect that.

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古い体質のスケート界やメディアから、差別的で容赦ない攻撃にさらされても、子ども達に「差別に負けず、個性を生かし、自分らしく生きよう」とのメッセージを、静かに、キッパリと送り続けるジョニーは、芯の強さと美しさを持っていると思う。今季も、一団と磨きのかかった素晴らしいパフォーマンスを期待したいなあと思います。

「批判なき真面目さは・・・」

写真は、先週末、カウンセリング学会に出席したときのものです。手前の橋の欄干には「ここからの眺めが、春日部で一番美しい風景・・・」との看板がかかっていました。

なるほど、橋から望む風景は、両岸の緑が川面に映り、青空の下を、川が緩やかに弧を描いて岸辺の草の陰に消えていく・・・。そんな心和む風景でした。

ところで、カウンセリング学会は、教育、心理、福祉、医療、子育て、行政、司法などなど、実にさまざまな分野の構成員からなるので、研修会や講演会のテーマも非常にバラエティに富んています。それらバラエティに富んだテーマの研修を受け、次々と講演を聞くにつれ、当然のことながら、人や社会のことについてさまざまな角度からいろいろなことを考えさせられます。

「幸せって何なのかなあ?」とか、「社会のあり方は?」とか、「自分自身の問題としてどうなんだろう?」というように、出てくる疑問や課題は尽きません。研修や講演会に参加して何かが解決したというよりも、課題や問いをもらって帰ってきたという方があっているかもしれません。

そんなモヤモヤした頭の中に、ふと手にした新聞記事の一行が目に飛び込んできました。

「批判なき真面目さは悪をなす」

評論家の吉武輝子さんが敗戦後の旧制女学校で、岡本先生という50代の女性教師から聞いた言葉だそうです。

ある時、先生は授業中にふと黙りこくり、ぽろぽろと涙を流し、そしてこう言われたそうです。
「皆さん、批判なき真面目さは悪をなすことを忘れないでください。私はどれだけ、生きたいと思う若い人を殺すことに手を貸したか分かりません」

しばらくして先生は、「人を教える資格がない」と言って、学校を去り、実家に戻る決心をしたそうです。先生は駅で見送る生徒達に、重ねて「批判なき真面目さは悪をなす。忘れないでね」と何度も繰り返したそうです。

吉武さんは言います。
「思えばこのころ、学校は先生と生徒が目線を平らにして向き合うことができる場所でした。これこそ本当の戦後民主主義教育です」

岡本先生のとった行動と言葉は、きっと生徒達の胸に深く刻まれたことと思います。教育に限らず、人と人とが平らな目線で向き合うことができたら、言葉には血が通い、相手の心に届くはず。そうした言葉を使っての教育は上辺の知識ではなく、深い理解と効果を持つものになるのではないでしょうか。そして何より嬉しいのは、そんな人間関係の育まれる社会は、人がもっと自分自身を大事にできて、なおかつお互いが思いやりを持てる、そんな社会になる気がします。

批判をするには自分の頭で考えなくてはなりません。考えたことは言葉で相手に伝える必要があります。・・・自他を尊重しつつ、言葉でちゃんと意思表示していく、アサーション・トレーニングにも通じる言葉だと思いました。岡本先生の言葉、しっかり心に留めておきたいと思います。

高校野球はみんな勝たせてあげたい

花屋の店先の吊り花-ペチュニア 残暑お見舞い申し上げます。

ブログの更新をと思いながら、引っ越しの後遺症なのか力が抜けてしまって、超スローな仕事ぶりで毎日が過ぎております。そんな中、一応近況報告だけでもと思います。

いやー、とにかく暑かったですね。やっとこの数日、関東は少し暑さが和らぎましたが、西日本は猛烈な残暑だそうですね。高校野球もその猛暑の中でのことと思うと、選手も応援する人もスタッフも、本当にご苦労様としか言えません。また、そんな中で全力を出し切る選手たちのさわやかさには暑さを忘れさせる何かがあります。

特に応援する高校もない私ですが、たまたまニュースを聞いていたら、沖縄の興南高校の中継をやっていて、聞き始めるとつい応援してしまい、以来、何となく気になっています。そうしたら、いよいよ明日は決勝というところまで勝ち進んで来ました。こうなるとやはり結果が気になります。とは言っても、選手達のさわやかで一生懸命な姿を見ると、「どのチームも勝たせてあげたいなあ」というのが正直な感想です。

そして、高校野球が終わると、夏も終盤。最近は8月下旬から二学期が始まる小学校もあるそうですね。私が子どもの頃、8月31日の深夜まで宿題に追われていたことが、今では昔話になりそうです。

セレニティの方は、明後日(22日)日曜日がアサーション・トレーニング。来月は20日がアサーション、23日は瞑想会を予定しています。季節の移り変わりを感じながら、ゆっくりと、気持も新たに始動していきたいと思っています。

暑さ対策。これは悔しい!

暑中お見舞い申し上げます!

蝉の声が盛夏を告げているこの頃、皆さんお元気ですか?

またまた、すっかりご無沙汰ですみませんでした。
7月の半ば頃から、引っ越しの準備。そして引っ越し、研修会と続き、気づいたら早くも8月に。しかも、そんなスケジュール満載の時期が、ちょうど連日の猛暑の最中で、脱水症状一歩手前と疲労で倒れるのではないかというくらい、久々に肉体労働の日々を送っていました。

さて、そんなある日の失敗談です。暑気払いに、笑ってやってください。

その日は、東京で研修会のある日でした。もう午前中から気温はグングン上昇して、東京も36度というとても暑い日でした。最寄り駅から徒歩6~7分の会場でしたが、屋根のない商店街を歩くのは辛いです。炎天下に立っているだけで汗が噴いてくる、そんなお天気の日でした。

さて、この夏、皆さんはどんな暑さ対策をしていらっしゃるでしょうか?私は、対策と言うほどではありませんが、通勤でも、買い物でも、外出するときには日傘を持ち歩くのが、このところの習慣になっていました。この日も、改札を出てすぐ、傘を射そうとバッグの中を探りました。

ところがです。傘がないのです。研修会の開始時間が迫っているので、歩きながらバッグの中を探ってみますが、ありません。こんなにギラギラとした太陽の下で、ここぞと言うときに傘がないなんて、と悔しい思い。どうやら前日の引っ越しのバタバタの後で、取る物も取りあえず駆けつけたこともあって、忘れてしまったもののようです。仕方なく、少しでもお店のひさしの陰を選びながら歩き、やっと会場に着きました。

さて、会場のホールに入り、座席に着き、エアコンの程よくきいた中、カラカラになったのどを潤すべく、ペットボトルをとり出そうとバッグの中を探りました。

すると、・・・・な、な、なんと、日傘が!!!
あるではありませんか!

実は、ちゃんと持って来ていたなんて。
歩きながら手探りしたときは、見つからなかったのに・・・・。
どうせだったら、持ってくるのを忘れていたほうがあきらめがついたのに・・・。
などと、持ってきていた傘がかえって恨めしい。ふ~。

傘を持っていたのに射さなかったことのほうが、傘がなかったことよりも、暑さも疲れも二倍になりそう。「あ~あ、これも、暑さのせいで頭がボーッとしていたからに違いないわ」とばかり、日頃のおっちょこちょいをも猛暑のせいにして、深く考えないことにしました。だって、この暑さだもの~とばかり。

。。。。。

ちっとも暑気払いにならない話ですね、すみません。よけいに暑苦しいかも。

何はともあれ、体調を崩さず、夏の後半に向けて、お互い元気で過ごしたいですね。私も、外出には傘を忘れず、ほどほどに汗も流し、過ごしたいと思います。それでは、また♪