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変化はどこから…カウンセリングと政治

もうすぐ夏休みも終わりです。そのせいか、最近、街中で子ども達の声があまり聞かれなくなった気がします。家で宿題に追われているのかな?

さて、近々衆議院選挙が行われます。カウンセリングの現場と政治とは、何の関係もないように思われそうですが、それがそうでもないのです。

大学の相談室の場合ですと、相談に来る学生さん達の家計を気遣う度合いが、グッと切迫感を持ってきた気がします。

進路・成績・人間関係など、学生達はいろいろな悩みを持って相談室に来るわけですが、「親の生活が苦しいので留年はできない」という、いわば背水の陣で、悩みを抱えて相談室にやって来る学生が増えた気がします(相談そのものが金銭的なことではなく)。

なので、じっくり相談するとか、精神的なケアを優先させるというよりも、経済的理由で解決の選択肢が限られる中で、じゃあ当面どうしたらよいかといった方向づけになってしまいます。

また、大学の経営上の生き残り策が、大学教育のあり方をゆがめ、結局それが学生の意欲の減退につながるという、個々の学生にしわ寄せが来ている面も少なくないような気がします。

こうしたことは、相談室では解決のつかない根深い問題で、国の教育政策に絡んで起こってくることです。

女性の方のカウンセリングの場合は、明に暗に、いろいろな形で社会の矛盾を背負わされた部分が多いのは、今に始まったことではありません。

男性が育児休暇をとれない、残業続きで夫も疲労の限界、だから夫の手助けは得られない、……お子さんの教育のこと、学校とのやりとり、ご夫婦の会話、……カウンセリングの現場には、社会の矛盾が噴出します。こうして「政治」はさまざまな場面に顔を出してきます。

と、こんな風に言ってしまうと、何だか絶望的な状況のようですが、そんなことはありません。
社会が変わらなくても、個人の日々の生活を変えることはできる…と始めるのがカウンセリングです。

そして実際、たとえ小さな変化でも変化が起きれば、人はそこに希望を見出して歩き出すことができるし、それが大きな歩みの一歩になるチャンスもいっぱいあるのです。

カウンセリングによる自分の一歩も大事にしながら、政治への希望や期待も忘れないでいたいなあと思います。