セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 社会 』

世代による住み分け?

東京のお昼時。オフィス街のコーヒーショップに入りました。

明るくおしゃれな感じの店内は、そろそろランチタイムのピークになるらしく、OLや会社員でどんどん席が埋まっていきます。

歩き回ってのどが渇いていたので、とにかく飲み物とサンドイッチを適当に選んで、急いで席を確保。ホッと一息ついて、気づいたことは…。

いつの間にか、店内の席はほとんどが埋まってしまっていたのですが、見たところ、若い人達ばかりなのです。20~30代と思われる人達です。中に一人だけ40代と思われる男性が。そして、オバサンは私だけ。

皆、この近くの会社にお勤めの常連さんらしい雰囲気でした。異次元空間に迷い込んでしまったような感じで、ちょっとソワソワ。

ますます混んできたお店を後に、通りを歩けば、道ですれ違うのも圧倒的に若い人達。
平均年齢30歳くらいの街?かと錯覚を起こしそうな、「新鮮」な体験でした。

かと思うと・・・、

その後、休日にショッピングモールに行ったときのこと。そこでは若いパパ・ママと赤ちゃんと子ども、そしておじいちゃん・おばあちゃん世代が目につきました。
OLや会社員、若者や中高生はほとんど見かけませんでした。

まるで住み分けているみたい!場所によって世代が偏っているのにはビックリしました。。

そういえばいつかこんな声を聞いたことがあります。
「ふだん若い人達とふれあう機会がないので、一度中学生や高校生と話してみたいなあ。」30代のOLさんでした。

私たちは知らず知らずのうちに、意外に限られた生活スペースで、限られた人達とだけ会って生活しているのかもしれません。世代や生活形態によって、生活する場所がハッキリ分かれてしまっているのでしょうか。一昔前にはあまり考えられなかったことだと思うのですが…。

いろいろな世代の人達と交流する機会がほしいですね。
そうしたらお互いを理解しやすくなるでしょう。
生活の彩りも、より変化に富んだものになるでしょう。

これからの街づくりにはそうした視点も欠かせない気がします。

ここでもアサーション

月一回くらいのペースで、アサーション・トレーニングのワークショップを開催しています。

つい最近、ある参加者の方から事務連絡のメールをいただいた折り、こんなひとことが添えられていました。

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ところで、安倍さんの首相辞任は驚きましたね。
安倍さんが、アサーションができていたら・・・・と思う今日この頃。
辞任理由も、率直に、
「体調が悪く、首相の重責に耐えられない自分を感じている」と謝罪していたら、
「無責任」とか「腑抜け」とか非難ごうごうではあっても、ここまでバッシングされなかったのでは、と思いました。

アサーション、大切ですね。
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う~~ん、なるほどねー、とうれしかったです。
安倍さんとアサーションの取り合わせの新鮮さ。同時に、日常のニュースをアサーションの視点で見てもらえたこと。このことは、メール主の中でアサーションが生活に根付き始めている証ですから。

というわけで、政治家の皆さん、ぜひアサーション・トレーニングを!

自分も相手も尊重しつつ、率直に自己を語る。政治がわかりやすく、力強くなりそうです。
政治に限らず「基本のキ」ですね。

アサーション・トレーニングとは自他を尊重しつつ、自分を率直に語るための実践トレーニングです。

チャイルドライン(子ども電話相談)

もう5~6年前のことです。確か、福井県ででしたか、子どもチャイルドラインという無料の子ども電話相談が始まった頃、運営主体が発行するNPOの機関誌で、チャイルドラインの担当相談員の報告を読む機会がありました。その中の一つに、ちょっと考えさせられた報告がありました。

子ども達からの相談の内容について書かれていました。もちろん、悩みの相談が寄せられるのは当然のことながら、相談員もビックリしたのは、日常会話のような電話もけっこうたくさん掛かってきたことだったそうです。たとえば・・・

「ボク、今日、サッカーをやったよ。」

「私ピアノを習っているの。」

「ウチのネコの名前はねー…」

などなど。

ふだん家族と交わすような会話の内容だったとか。
そんなとき相談員が「お留守番なの?」と尋ねると、たいていは家族の誰かが家にいたそうです(相談日は休日でした)。

家に家族はいるけど、家の人と会話しないで外部の相談電話に電話を掛ける。

そんな時代になっているんだ!と相談員の報告同様、私もちょっとショックでした。

今、大学の相談室で学生に接していて、彼らにも同じ状況を感じています。こちらは子どもだから問題はいっそう深刻。で、「大学の彼らは一応おとななんだから…」と思ってみたりもしますが………。

それでも、何だかモヤモヤと気持ちは晴れません。あれこれ考えても、簡単には答えは見つかりません。でも、一つハッキリしているのは、子どもや若者達に静かに起きている「異変」が自分の身の回りにないかセンサーを働かせること。そして気づいたらまず、身近な彼らに一声かけることではないのだろうか、そんな気がしているのですが・・・。

遠慮しないで、ママさん達

先日、電車でドア付近に立っていた時のこと。途中から、赤ちゃんを抱いて、男の子を連れたお母さんが乗って来ました。同じドアの、私と反対側に立ちました。

お母さんはスリング(でしたっけ?ダッコ紐のことです)で赤ちゃんをダッコ。赤ちゃんは気持ちよさそうな寝顔です。

男の子は3歳と4歳くらいかな?お兄ちゃんの方は小さな布の手提げ袋からペットボトルを取り出すと、一口飲んで、お母さんも一口。兄弟はドアの窓からおとなしく外を見ています。

それほど混んでいるわけではないけれど、座席はどこも空いていません。若いお母さんは、駅が来ても座席を捜すふうもなく、最初から座らないつもりのように見えました。

とにかくじゃまにならないようにと、ドアが開くたびに優しく男の子の頭に手をやって、端に寄るように促しています。

“ボクたち”おとなしいなあ、エライなあと見ていました。そうこうするうちにお兄ちゃんの方が、ドアの隅にしゃがんで座席の壁によりかかって眠り始めました。駅に着いてドアが開くたび、立ち上がってよけています。

お母さんが、「見えなくて危ないから立っていなさい」と注意します。

やがて私の降りる駅になりました。3人はまだ座れません。でも、きっと次の駅では座れるはずです。次は乗り換え駅だから、ドッと乗客が降りるんです。私もちょっとホッとしました。

子どもが立っているのはけっこう賛成です。でも赤ちゃんや幼児を連れたお母さんは座らせてあげたい気がします。この間は、臨月近い妊婦さんが、混んだ電車の中で、やはりドア近くに立っていました。赤ちゃんや幼児を連れたお母さん、それに妊婦さん達、きっと迷惑にならないように気を遣っているのではないかなあ、そんな気がするんです。

遠慮しないで、「“迷惑”をかけ合おう」でいきましょうね。

“迷惑”をかけ合おう

時々、若いお母さんがこんなふうに言うのを聞くことがあります。
「子どもを預かってもらえるのはありがたいんですが、そうすると今度は自分が預からなくちゃいけないって思うと、気持の負担になって、お願いできないんです。」

何かしてもらったら、すぐにそれにお返ししないといけない、そんなふうに思いこむとすごく人間関係が堅苦しくなってしまうことってありますね。

持ちつ持たれつ、困ったときはお互い様、そう考えて、お互いに助け合えるといいなあと思います。

何かしてもらったらすぐにお返ししなくてはいけないというのではなく、相手が困っているときに自分のできることがあったら、別のことでお返しするのでも良いと思うのです。

それは直接、親切にしてもらった当人にではなくても、自分が出会った困っている誰かに力を貸してあげるのでもお返ししたことになるのではないでしょうか。

福祉の仕事で実績を積まれ、参議院議員になられた黒岩秩子さんに名刺をいただいたことがあります。名刺には「“迷惑”をかけあおう」と書かれていて、ハッとさせられました。福祉の現場の長かった黒岩さんの実感がこもっていると思いました。何らかのハンディがあって支援を必要とする人が、安心して「迷惑」をかけることのできる社会こそが、誰にとっても安心して暮らせる社会でしょう。

<人に迷惑をかけてはいけない>だけが強調されてしまうと、困っている人や助けを必要とする人が「手を貸して下さい」と言えない社会になってしまいそうな気もします。

と言いつつ、自分の子育てを振りかえると、あーホントに迷惑のかけっぱなしだったなあ。Eさん、Kさん、Sさん…それに数え切れないくらい多くの方に文字通り迷惑かけたし、お世話になったなあと、反省しきりです。私の場合、本当の迷惑だったような気が・・・。

でもどうかその分、今がんばっている若いお母さん達にお返ししていきますからね、ゆるしてね!