カテゴリー 『 雑感 』
遠慮しないで、ママさん達
先日、電車でドア付近に立っていた時のこと。途中から、赤ちゃんを抱いて、男の子を連れたお母さんが乗って来ました。同じドアの、私と反対側に立ちました。
お母さんはスリング(でしたっけ?ダッコ紐のことです)で赤ちゃんをダッコ。赤ちゃんは気持ちよさそうな寝顔です。
男の子は3歳と4歳くらいかな?お兄ちゃんの方は小さな布の手提げ袋からペットボトルを取り出すと、一口飲んで、お母さんも一口。兄弟はドアの窓からおとなしく外を見ています。
それほど混んでいるわけではないけれど、座席はどこも空いていません。若いお母さんは、駅が来ても座席を捜すふうもなく、最初から座らないつもりのように見えました。
とにかくじゃまにならないようにと、ドアが開くたびに優しく男の子の頭に手をやって、端に寄るように促しています。
“ボクたち”おとなしいなあ、エライなあと見ていました。そうこうするうちにお兄ちゃんの方が、ドアの隅にしゃがんで座席の壁によりかかって眠り始めました。駅に着いてドアが開くたび、立ち上がってよけています。
お母さんが、「見えなくて危ないから立っていなさい」と注意します。
やがて私の降りる駅になりました。3人はまだ座れません。でも、きっと次の駅では座れるはずです。次は乗り換え駅だから、ドッと乗客が降りるんです。私もちょっとホッとしました。
子どもが立っているのはけっこう賛成です。でも赤ちゃんや幼児を連れたお母さんは座らせてあげたい気がします。この間は、臨月近い妊婦さんが、混んだ電車の中で、やはりドア近くに立っていました。赤ちゃんや幼児を連れたお母さん、それに妊婦さん達、きっと迷惑にならないように気を遣っているのではないかなあ、そんな気がするんです。
遠慮しないで、「“迷惑”をかけ合おう」でいきましょうね。
“迷惑”をかけ合おう
時々、若いお母さんがこんなふうに言うのを聞くことがあります。
「子どもを預かってもらえるのはありがたいんですが、そうすると今度は自分が預からなくちゃいけないって思うと、気持の負担になって、お願いできないんです。」
何かしてもらったら、すぐにそれにお返ししないといけない、そんなふうに思いこむとすごく人間関係が堅苦しくなってしまうことってありますね。
持ちつ持たれつ、困ったときはお互い様、そう考えて、お互いに助け合えるといいなあと思います。
何かしてもらったらすぐにお返ししなくてはいけないというのではなく、相手が困っているときに自分のできることがあったら、別のことでお返しするのでも良いと思うのです。
それは直接、親切にしてもらった当人にではなくても、自分が出会った困っている誰かに力を貸してあげるのでもお返ししたことになるのではないでしょうか。
福祉の仕事で実績を積まれ、参議院議員になられた黒岩秩子さんに名刺をいただいたことがあります。名刺には「“迷惑”をかけあおう」と書かれていて、ハッとさせられました。福祉の現場の長かった黒岩さんの実感がこもっていると思いました。何らかのハンディがあって支援を必要とする人が、安心して「迷惑」をかけることのできる社会こそが、誰にとっても安心して暮らせる社会でしょう。
<人に迷惑をかけてはいけない>だけが強調されてしまうと、困っている人や助けを必要とする人が「手を貸して下さい」と言えない社会になってしまいそうな気もします。
と言いつつ、自分の子育てを振りかえると、あーホントに迷惑のかけっぱなしだったなあ。Eさん、Kさん、Sさん…それに数え切れないくらい多くの方に文字通り迷惑かけたし、お世話になったなあと、反省しきりです。私の場合、本当の迷惑だったような気が・・・。
でもどうかその分、今がんばっている若いお母さん達にお返ししていきますからね、ゆるしてね!
頭の切り替え、ヒントは数独から
パズルやゲームとか、私は普段ほとんどやりません。嫌いなわけではないのですが、なんとなく…です。
ところがある週末、ふと新聞のパズルコーナーに目がとまり、見るとそこには、「数独」というパズルが載っていました。マスの中に数字が並んでいて、所々空欄になっています。何の気なしに、解いてみることにしました。
1から9までの数字を使って、同じ数字が隣り合わないように縦横のマス目を埋めていくパズルです。難易度の低いものから高度なものまで、解き方もいろいろあるみたいですが、詳しくは知りません。
とにかく、その時のことがきっかけになり、それ以来、たまに週末の新聞で数独を楽しんでいます。
簡単に解けるとスッキリします。…ミニ達成感!
簡単に解けないときは解けないで、「よし解いてやろう」と挑戦のしがいがあります。…さらに達成感!
「別にこれが解けないからって、どうっていうことないのになあ。それに解けたからといっても、どっていうこともないんだけど…。」な~んて心にブツブツ言いながら解いています。
意味もないことでもやりたいからやっている、人生ってそんなもんさーと。
ところで、数独をやっていて気づいたことが一つあります。数独はじっくり考えるよりヒラメキの部分が結構大きいみたいです。じっくり考えすぎると泥沼にはまります。いや、考えてはいけないのかも。考えずに、順序よく理詰めで行くとスッキリ入るといったほうがいいのかな。
では、そんな時どうするか。
解決策は、行き詰まったら視点を変える、それでダメならいったん中断して離れる。別のこと(仕事や家事や、出かけるとか)をしてからまた戻ってくると、今度はパッと解答が見つかることがあります。あんなに考えてわからなかったのに、今度は一瞬で解答が見つかるのです。ホントに不思議。
「視点を変える」
それも難しくなったら、
「いったんそこから離れる」
このことは、私たちの日常の思考や行動にもヒントになるのでは?っと、私としてはちょっとした「発見」の気分でした。
私たちは、行き詰まったとき、「もっとがんばれば、なんとか突破できるだろう、とさらにがんばる。それでもうまくいかないとガンバリが足りないからだと思い、もっとがんばる。それでもうまくいかないとだんだん息切れがしてきて、絶望的な気分になったり、自分に力が足りないせいだという誤った認識に陥ってしまう。そして次第に挑戦する気も失せてしまう。…なんていうことを日常やってしまっている気がするのです。
ひたすら疲れて徒労感だけ残って…。
そんなとき「視点を変える」「いったんそこから離れる」のは、けっこう有効な手段ではないかと思ったわけです。
そんな気づきももらえた数独は、頭の切り替え練習にはもってこいかも。数独の本を買うほど熱心ではないけれど、週末の新聞のパズルは、今しばらくお楽しみの時間になりそうです。
映画「博士の愛した数式」“今、ここ”に生きること
新しくブログを開設しました。「セレニティ日記」として、セレニティの活動を中心に、気づいたことや日々の雑感を書いていかれたらと思います。
(「はるのかんたんふ」も個人のブログとして続けていくつもりです。)
ということで、これからもよろしくお願いいたします。
さて、早くも五月半ば。時の経つのは早いなあと思うのは私だけでしょうか?
時間の長さの感じ方は状況によってさまざま。旅の充実した一日は、たった一日が何日分にも感じられたり、そうかと思えば楽しい時間はあっという間に過ぎてしまったり…。かと思えば、退屈な時間や苦痛な時間はとても長い…。
「博士の愛した数式」という映画があります。博士は事故の後遺症で記憶が80分しか持ちません。この状況だけを見れば、とても悲惨な状況です。
今日出会った人のことも約束も、みんな翌日には忘れてしまうのです。いつも初対面、いつもゼロからスタートなのですから。
でも記憶されることのみが私たちの生のすべてではないことが、博士の生き方を通して語られます。
たとえ記憶に残らなくても、一瞬一瞬を誠実に精一杯生きていることは、限りない魅力があるのだとわかります。時間はこの映画の重要なキーワードのようです。
そうそう、「セレニティ瞑想会」が今週の土曜日26日にあります。もしよろしかったらお出かけ下さい。静かに座って過ごす時間は長いでしょうか、短いでしょうか?
あれれ、最後は宣伝になってしまったかな?失礼しました!