カテゴリー 『 社会 』
変化はどこから…カウンセリングと政治
もうすぐ夏休みも終わりです。そのせいか、最近、街中で子ども達の声があまり聞かれなくなった気がします。家で宿題に追われているのかな?
さて、近々衆議院選挙が行われます。カウンセリングの現場と政治とは、何の関係もないように思われそうですが、それがそうでもないのです。
大学の相談室の場合ですと、相談に来る学生さん達の家計を気遣う度合いが、グッと切迫感を持ってきた気がします。
進路・成績・人間関係など、学生達はいろいろな悩みを持って相談室に来るわけですが、「親の生活が苦しいので留年はできない」という、いわば背水の陣で、悩みを抱えて相談室にやって来る学生が増えた気がします(相談そのものが金銭的なことではなく)。
なので、じっくり相談するとか、精神的なケアを優先させるというよりも、経済的理由で解決の選択肢が限られる中で、じゃあ当面どうしたらよいかといった方向づけになってしまいます。
また、大学の経営上の生き残り策が、大学教育のあり方をゆがめ、結局それが学生の意欲の減退につながるという、個々の学生にしわ寄せが来ている面も少なくないような気がします。
こうしたことは、相談室では解決のつかない根深い問題で、国の教育政策に絡んで起こってくることです。
女性の方のカウンセリングの場合は、明に暗に、いろいろな形で社会の矛盾を背負わされた部分が多いのは、今に始まったことではありません。
男性が育児休暇をとれない、残業続きで夫も疲労の限界、だから夫の手助けは得られない、……お子さんの教育のこと、学校とのやりとり、ご夫婦の会話、……カウンセリングの現場には、社会の矛盾が噴出します。こうして「政治」はさまざまな場面に顔を出してきます。
と、こんな風に言ってしまうと、何だか絶望的な状況のようですが、そんなことはありません。
社会が変わらなくても、個人の日々の生活を変えることはできる…と始めるのがカウンセリングです。
そして実際、たとえ小さな変化でも変化が起きれば、人はそこに希望を見出して歩き出すことができるし、それが大きな歩みの一歩になるチャンスもいっぱいあるのです。
カウンセリングによる自分の一歩も大事にしながら、政治への希望や期待も忘れないでいたいなあと思います。
国産小麦の給食パン…継続の力
今から20年ほど前、都内の某所に小若順一さんを訪ねて話を聞く機会がありました。当時の団体の名称は忘れました(現在「日本子孫基金」と改称)が、食品の放射線照射やポストハーベスト(収穫後の農薬散布)など、食品の安全性について啓発する市民団体で、小若さんはその団体の代表でした。
輸入小麦の安全性への疑問、国産小麦のおいしさ、そんな話をしながら「学校給食に国産小麦パンを導入できないだろうか」というような話題を持ち出した記憶があります。
小若さんの話では、価格その他の面で(ふわふわしたパンにならない国産小麦の特性が理解を得られるかどうかとか、それを克服する技術の面で難しいとか)、現状では非常に難しいという話でした(予想通りの答えではあったのですが、それでも聞きに行ってしまうところがしつこいというか、私のアホさ加減だなあと…)。
「安全性を考えたら国産小麦のほうがいいに決まっている。だけどどう考えても今は難しい」必要性と同時に現場の困難も知っている人の発言なので説得力がありました。「ヤッパリ無理か」とガッカリしたのを思い出します。
というように、学校給食に国産小麦パンを導入することは、当時としては考えるのも愚かといって良いほど、まったく現実離れした問題だったのです。
しかし、あれから20年。
今では学校給食に国産小麦パンを導入している学校があちこちで見られます。4~5年前、初めてそのニュースに接したときは感慨深いものがありました。
「変わるんだ!変われるんだ!」っと。
同時に、たぶんこれは給食の問題だけではないはず、とも思いました。
教育にしても、子育てにしても、問題と思っていることや疑問に思っていることは、地道に変える努力をしていけば、きっと変えることができる、そう気づかされたのです。
もちろん、何もしないでいては変わりません。
学校給食での国産小麦パン導入にしても、そこに至るまでには、多くの関係者のひとかたならぬ努力があってのことです。消費者の安全な食べ物を求める気持ちや環境問題への関心などが、政治を動かし、社会を変え、実現への力になったのだと思います。
あきらめないで、進むこと。
給食パンが教えてくれました。
映画“チョコラ”…ストリートチルドレン
映画のご案内です。
なんとなく甘いチョコレートを連想してしまいますが…。
「チョコラ」とはスワヒリ語で「拾う」という意味だそうです。
「生活のためにクズ拾いをしているストリートチルドレンをさした侮蔑的な意味合いを含んだ言葉」だとのこと。
ケニアのストリートチルドレンを支援しているNGO「モヨ・チルドレン・センター」主宰の松下照美さんは、セレニティの教師研修会「手塩研」講師の平井恵美子さんの長年にわたるご友人だそうです。そんなご縁でご紹介させていただきました。お時間がありましたらお出かけ下さい。
今後、各地で上映が予定されているようです。お近くでの開催も、今後追加されるかもしれませんね。ホームページで追加情報をご確認いただければと思います。
東京は5月9日(土)より公開になっています。詳しくは上記公式ホームページで。
紙芝居屋さんに後継者
東京下町で紙芝居屋のおじいさんが高齢のため引退し、若者が後を継ぐことになったという新聞記事を読みました。
若者は紙芝居に魅せられておじいさんに弟子入りし、今日まで紙芝居屋修行に励んできたそうです。
「これからも子ども達に夢を届けていきたいです」と後を継ぐことになったお兄さん。路地裏の一角には、紙芝居に集中する子ども達の後ろ姿に混じって、子どもを抱っこしたお母さんやお父さんの姿も見えます。子ども達の歓声まで聞こえて来そうな写真です。。。。。
後継者ができて良かった!これからもずっと続いていってほしいなあと思います。
今では紙芝居を知らない子もいるかもしれませんが、私が子どもの頃はホントに身近な存在でした。
紙芝居屋のオジサンが道ばたに自転車を止めて、駄菓子などを売りながら子ども達を呼び集めます。ある程度人数が集まったら、「さあ始まり、始まり~」と、紙芝居の世界が展開されていきます。
紙芝居の面白さは、なんといってもあの紙を引き抜く瞬間ではないでしょうか。「さあ、次はどうなるの?」と、ハラハラ、ドキドキしながら、オジサンが紙を引き抜く手元に、子ども達の目が集中します。
わずか10分足らずの「子ども劇場」でしたが、終わるとそれなりの余韻と満足感があって、小規模ながらやっぱり「一種の観劇」だったのだなあ、と今になって気づきます。
友だち同士オシャベリしたり、駄菓子を食べたりしながら、肩寄せ合って、肉声での語りに引き込まれていたあの頃。のどかな時代の産物で、このスピードのご時世にはそぐわないのかもしれません。
しかしだとしても、いつまでもすたれないでいてほしいと思います。
実は、孫がもう少し大きくなったら、紙芝居を見せてやりたいなあと思っているんです。………な~んて言いながら、孫をダシに私が楽しもうというコンタンなんですけどね。
エスカレーターの片側空け
いつの頃からか、エスカレーターの左右どちらかを空けて乗る、というのが習慣のようになってしまっています。
関東は左に寄って右をあける、関西はその逆。などと言われます。(ちなみに境目は岐阜あたりだとか)。
ともかく、そんな習慣が定着しそうになっていますが、先日、新聞の投書に次のような話が載っていました。
(要約)
投書の主は関東地方にお住まいのご高齢の方でした。左手が不自由で足腰も弱っているので、出かけたときは当然、階段でなくエスカレーターを利用することが多いそうです。そしてエスカレーターに乗るときは、右手で手すりにつかまり、身体を手すりに預けるようにして支えて乗るそうです。
ところが、ここで問題になるのが先程の習慣。関東の場合、右を空けて乗らなくてはならないとなるとたいへんです。不自由な左手で身体を支えなくてはならないのです。思ったように手すりをつかむこともできず、不安定なままで立っていなくてはなりません。ましてや、右側を掛け上がっていく人がちょっとでもぶつかったりしたら、それこそ生命の危険さえあります。
お年寄りは言われます。「どうか、エスカレーターに安心して乗ることができるよう、急いでいる方は階段を利用してください」と。
すごーく反省しています。
私も、急いでいると、ついエスカレーターの右側を階段のように上ってしまっていました。特に、朝の通勤時間帯に「次の電車に乗らないと乗り継ぎ電車に遅れる!」なんていうときは、若い人達に混じって、電車がホームに着いた途端、エスカレーターを駆け上がっていました(ハアハア息を切らせながら)。
でも、最近は階段を上ることにしました。確かにエスカレーターは「乗る」のであって、「上(のぼ)る」ものではないですものね。
そして、エスカレーターに乗った時は、ひたすらおとなしくジッと流れに身を任せております。遠からず、私もエスカレーターに大いにお世話になる一人ですから…。