カテゴリー 『 近況報告 』
柳の芽吹いた公園で
近くにあるのに一度も行ったことのなかった公園に、孫達を遊ばせるため、初めて足を運びました。
連休ということもあり、若いファミリーがいっぱいでした。
バアバの役目は、お弁当と一緒にベンチで留守番。3人の孫達は思い思いの方向に散っていきました。
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しばらくして孫のうちの長男が、海賊船を模したアスレチックのてっぺんに登り、「海賊ごっこする人はいませんかー?」と公園中に響き渡る声で仲間の募集を始めたのにはビックリ!そのうち妹も一緒になって声を揃えています。
(地元の公園ではないんですよ。東北から埼玉に遊びに来て、初めて来た公園で、これです^^;)
なかなか「応募」がないようで、募集の呼びかけが続きます。いつまでやるつもり?とハラハラしていると、そのうち男の子が何人か来て何やらやりとりしている様子。後で聞いたところ、結果的に男の子二人と一緒に鬼ごっこをしたそうです。
子どもと一緒でなくては、なかなか味わえない新鮮な体験でした。
こちらもリフレッシュ、リフレッシュ!
芽吹いた柳がと~ってもきれいでした。
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春本番も間近ですね。
大学の新学期も、もうすぐです。
卒業の季節
春のような暖かさの日もあるかと思うと、また急に冷え込んできて、油断ならない時季ですね。インフルエンザもはやっているそうで、結構不調の方も多いみたいなので気をつけたいですね。
さて、そんなこの季節ですが、大学の相談室としては今は春休み。
4月の新学期を待つ時期でもあります。
1月の相談室が終了する間際には、卒業していく学生さんがチラホラ挨拶に来てくれることがあります。
中には、数年前に相談に来て、その後は元気になり、ずっと顔を見せることのなかった人もいます。
そんなときは突然の来訪と、雰囲気が変わっているのとで、一瞬誰だかわからないときも・・・。
特に女性の場合は、お化粧や髪型の変化もあって、「え?〇〇さん?!」と、聞き返して失礼してしまったり。
でも、一言二言言葉を交わすと、「あ、そうだ。〇〇さんだ」と、思い出されてきます。
「お元気そうね。溌剌として」と、こちらが感じたままを口にすると、
「そんなことなくて~、今でも自信ないんですよ~」などと、照れた横顔に、当時のことがよみがえってきます。
相談室で交わした会話のあれこれ、共有した時間、辛かったこともーそのどれもが貴重な体験として糧になってくれていたのだろうか。
ドアを出て行く後ろ姿にエールを送りながら、幸せのお裾分けをいただいたような、カウンセラーとして感慨深く嬉しいひとときです。
自分の身体に感謝する。
年末ですね。
門扉に、松の枝と締め飾りが掛けられているお宅を目にすると、「お正月が近いんだなあ」と実感が湧きます。
それにしても、今年もアッという間の一年でしたね。
このブログも、「今年こそはもっと頻繁に更新しよう」と、気持ちも新たにスタートしたはずなんですが・・・。
結果的に、またもや「月記」になってしまいました。
と書きながら、懲りもせず、また来年も月記から抜け出せるように頑張ろうなんて思っているんですから、いやはやまったく・・・。
とにもかくにも、今年一年何とか無事に過ごしてこられたことには感謝しなくてはなりません。ひとまず、健康でいられることは何にも代え難いありがたいことです。
2週間ばかり前に、珍しくちょっとしたことで寝込んだのですが、たった二日間でも、熱が出て食欲もなく、身体の節々が痛いとなると苦しいものだなあと、日頃の健康のありがたさを痛感しました。
熱が下がった後は、妙にスッキリ爽やかで、その時は何かちょっと嬉しかったです。
今はもうすっかり健康ですので、ご心配なく。
その時に感じたことは、もっと丁寧に自分の身体と対話することの必要性でした。以来、以前よりは、少しは自分の身体に優しくなった気がします。たとえば、窮屈な靴を履いた日は、靴を脱いだらすぐに、「ご苦労さま!」という気持ちで、足の指を伸ばしながらほぐしてやるとかしています(その前に、窮屈な靴を履くなという話ですが、私の足は日本人の平均からは遠い足型らしく、どれもソコソコ我慢して履かなくてはならないのです)。
毎朝、ほんの短時間ですが、瞑想をしていることも、身体に目を向けることには役立っているかもしれません。いつも雑念に惑わされてばかりで、純粋に瞑想をしているのはそのうち何分位なんだろうというお粗末さですが、それでも毎日やれているのは不思議です。
目を閉じて自分の呼吸に意識を向けると、身体のあちこちに自然に意識がいくので、そんなことからも、ふだんの生活の中における身体に目を向け、いたわりとねぎらいの気持ちが生まれるのかもしれません。
今年も頑張ってくれた私の身体に感謝しつつ、老化とも折り合いを付けつつ(←これ大事!)、来年も健康で過ごせるといいなと思っています。
今年一年、セレニティと大本個人とに関わってくださった皆さま、本当にありがとうございました。
2016年が、皆様にとって、健やかで良い年になりますようお祈りいたします。
あれから一年
夕暮れの帰り道、見上げた空がこれ。
なんて素敵な色合い!オレンジ色とブルーの縞模様が空一面に広がって・・・。
秋の空は朝から晩まで、一日中、いろいろな顔を見せてくれて、見飽きることがありません。
今年は夏から秋へと、行ったり来たりしていたような・・・。
行きつ戻りつしながらゆっくり季節が移り変わっていく・・・そんな秋。
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個人的には、9月はそれこそアッという間に過ぎてしまった気がします。気づいたら10月。カレンダーも残り2枚だけ。早いなあ~。今年何か成長したことあったかしら?(お腹の周りだけだったりして^^;)
たった一つだけ、一年前に始めた毎日の瞑想が、まがりなりにも一年間続きました。奇跡です!
朝、一日が始まる前に、15分だけ座る=瞑想することにしています。瞑想とはいっても、大半の時間雑念に振り回されているのですが・・・(泣)
ただし、めげずに2年目に突入します。ほんの一瞬の(雑念でない)瞑想が垣間見えた瞬間を希望にして。なぜ続いているのかわからないのですが、やっぱり何か、何かいいんです。落ち着くというか、大事な何かに出会っている気がするのです。
うまく説明できないのですが、それがあるとないとではやはり何か違ってくるような・・・。理屈ではなく、何となく続いている、何となくやめる気にならない。そんな消極的な動機なのですが、とにかくいまや自分の生活の一部になりつつあります。
それにもかかわらず、いざ座って瞑想をとなると、あれやこれやの雑念に振り回られて、15分終了のチャイムがなって、「あ~あ、今日もまただ~」
と、少々のガッカリ感を感じつつ、気を取り直して「よし、明日こそ!」と思うのでした。リセットする感覚で。
そしたら先日、瞑想の師匠に言われた一言。
「明日はないですよ。いつでも今日が本番」
ク、ク、ク~~~(泣)
そうなんですよね~。
そう、まさにそう。だから、今日のこの一瞬を大事に、ですね。
反省したり嘆いたりする間があるなら、今のこの一瞬に全力を注ぐ・・・そう切り替えて、瞑想しているつもりなのですが、すぐにまたあれこれ考え始めるという無限ループに入っていくのです。
でも、でも、またあきらめずに一年間、いえ、この一日を、一瞬を生きることにトライしようと思います。
何度挫折しようが、気にしない、気にしない。
巣立つ学生の、心に残る何かを
だいぶ日が長くなりましたね。
陽射しもすっかり春です。
もうすぐ新学期が始まります。
先週、久しぶりに用事があって大学に行って来たのですが、
実験や研究、または部活動のために来ている学生がパラパラというくらいで、ひっそりとしたキャンパスはのどかな庭園の趣でした。
そんなキャンパスの小道を抜けると、これまたひっそりと、梅の花が咲いていました。
姿はひっそりでも、香りはしっかりと高貴な存在感を放っていました。
凛とした美しさ。
梅の花を見ると、
「凛とした」という表現が、
これほどピッタリした花もないのではないか、と思ってしまいます。
梅が終われば、桃、桜と、春が駆け足でやってきますね。
春といえば、出会いと別れの季節でもあります。
今年も相談室で出会った学生達がそれぞれの進路に向けて巣立って行きました。卒業、休学、退学など、試行錯誤しながら、それぞれが迷いながら確かめながら歩いていく道。
この先の長い人生の中で、あの相談室での、あのときのこと、あの一言、それが人生で生きてくる、そんな何かを持ち帰っていてくれたらなあと思います。相談の中で、そのような対応ができるようにというのは、私自身の指針でもあります。でも、彼らが大学の相談室から何を持ち帰ってその後の人生に生かしてくれるかは、確かめようがありません。
しかし、ときにはこんな嬉しいことも。
ある年、卒業も間近に迫った相談室でのこと。相談が終わっての帰り際、女子学生が鞄から小さな袋を取り出しました。
「この前、部活で〇〇へ行ったんです。少しですけど・・・」と、うつむいて照れながら差し出された小さな包み。学業も部活も行きつ戻りつ、恐る恐るの半歩、一歩。それでも諦めずにねばり強く続けて、卒業、就職までこぎつけてきたこれまでが思い出され、感無量でした。
シャイな彼女には、おみやげを手渡すこと自体かなり勇気がいっただろうと思うと、この小さな包みがいじらしく見えました。
家に帰り開いた包みには、一口サイズのかわいらしいお菓子が入っていました。小さなお菓子をさらに小さく切り分けながら、一口ずつかみしめ、味わって頂きました。格別のおいしさでした!
あと2週間もすれば、新入生を迎えて、また新たな一年が始まります。