セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 教育 』

入学式、保護者席は超満員

昼下がりの電車でウトウトしていたら、おばさま達(失礼 ! 私と同年配の女性、お二人)の話し声が耳に入ってきた。

「うちも昨日だったのよ。一応、節目だから参加させてもらっちゃった」
「うちは親だけ。私は大勢じゃ悪いと思って行かなかったわ」

どうやらお孫さんの入学式の話のようだ。小学校かな?保護者席が足りなくて先生達が大あわてだったそうだ。

「もう、みんな親はカメラだ、ビデオだって、たいへん!うちも二人が手分けして撮るのに夢中でしょ。ちゃんと見てやりなさいって言ったのに、それどころじゃないの。その分、私がちゃんと見て来てやったわ」
「うん、そうそう」

な~るほど。パパ・ママはカメラとビデオの記録係として大忙しなので、おじいちゃん、おばあちゃんが成長を見守り、感動を味わうお役目というわけなのですね。うまく役割分担できてますねえ。

大学生も同じです。一昨年だったか、私の勤務する大学でも話題になったことがありました。以前、この日記にも書いたことがありますが、入学シーズンには、祖父母など家中での出席希望者が多く、大学は準備に大わらわだとの話でした。

あれから2年、このおば様達の話を聞く限り、いよいよ入学式に家族で出席する風潮は定着しつつあるのかもしれないですね。

でもやはり、特に大学生の場合、考えてしまったのは、新入生のオリエンテーションの際に、保護者向けのオリエンテーションも同時に組まれているという事実です。

たとえば、単位取得の方法やカリキュラムの説明、学生生活の送り方といった、本来学生本人が把握して、自己管理する範囲のことまでも、保護者に対しても丁寧に説明するのだそうです。

大学としては、学生に説明してもなかなか徹底せず、結局親から問い合わせが来たり、親を通じて処理するようなことが増えてしまい、それなら最初から保護者に説明してしまおうということらしいです。大学の苦肉の策としての保護者向けオリエンテーションだったわけです。

入学という晴れがましい機会に、親子が共に喜びを分かち合うのはすばらしいことです。でもだからこそ、この機会に、親に感謝しつつも自分の足で一歩を踏み出してほしいなあというのが、大学相談室担当者としての率直な感想です。

「学生時代は、悩んだり、失敗したりしても、大目に見てもらえる時期。いっぱい挑戦して、いっぱい失敗したっていいじゃない?そうやって何かをつかんで卒業していってほしい」って、また今年も学生達にハッパを掛けてしまいそうです。

「過激」になれない時代

あらあら、気づいたら1月も終わろうとしています。年明けに書き込んだきりで、すっかりご無沙汰してしまいました。今年はちょっとはマメに、なんて思っていたんですが、ちっとも変わりませんね。

先日、ある本を読んでいてとても納得したことがあります。それは次のような一節です。

「虫や動物や得体の知れない生き物を借りてしか過激になれない時代というものに、私はいささか空恐ろしさを感じています。」『ぼくらの言葉塾』ねじめ正一(岩波新書)

ここでいう「過激」とはどういうことか、詩人である作者の言葉を借りてみると・・・。

・詩の言葉が狭いと感じていて、それを広げたかった
・詩らしい言葉づかいをいったんぶっ壊して、そこから新しい、風通しのいい言葉の世界を作り上げたかった

というねじめ正一さんは、30代の頃、過激詩人といわれていたそうです。「カッコよく言えば、言葉の原初の力を取り戻す」ことをめざしたそうです。

そういう意味の過激です。
もう少し具体的に説明するために、この本の小見出しを拾ってみましょう。
「ギザギザ言葉で原初の力を取り戻す」
「暗黙の了解を打ち壊す」「スリリングに繰り返す」「言葉をぶん投げられる肉体のパワー」「言葉の太刀を振り回しズレを楽しむ」など、過激さの実態をご想像いただけるでしょうか。

小見出しそのものの過激さ加減は、詩人の巧みな修辞によるものであって、語られている内容は、刺激的ではあっても至極まっとうな内容です。「正確な観察から生まれる想像力」という小見出しがあることからも、その方向性はご想像いただけるかと思います。

そして、過激な詩の一例として、皆さんよくご存じの「ねこふんじゃった」(阪田寛夫)が挙げられています。この曲は世界中でさまざまな歌詞がついているらしいのですが、ここに取り上げられた阪田寛夫さんの詩は、

ねこがふんづけられて お空へとんでって かさをさしてふわりふわり雲の上……

そして最後は、「あしたの朝 おりといで」と言いながら、子ども達は「ねこグッバイバイ」とおうちに帰ってしまう、という何とも奇想天外な展開になっています。

長々と拙い説明をしてしまいましたが、ここでの過激がどういうことを指しているか、少しはご理解いただけたでしょうか。
きれいに整えられたものではない、ちゃんと理屈が通っているものではない、常識的なものではない、誰にも好まれるものではない、当たり障りのないものではない、などなど…。私は「過激」をそんなイメージで捉えました。

「きれいに整えられたもの」や「ちゃんと理屈が通っているもの」、そして「常識的なもの」や「誰からも好まれるもの」や「当たり障りのないもの」などなど、そうしたものにつきまとうカラをいったん破って、自分の正確な言葉の表現を試みてみよう、と呼びかけているように思えます。

さて、最初の2行に戻ります。
「虫や動物や得体の知れない生き物を借りてしか過激になれない時代というものに、私はいささか空恐ろしさを感じています」

大学で学生さん達の相談を受けていると、「ぶち壊していいんだよ。やってごらんよ」と心の中で思わず叫びたくなるときがあります。相談に来た彼らが、過激になれない時代の息苦しさを一身に背負っている、そんな気がしてしまうのです。
学生さん達の背負っている息苦しさは、私たち自身にも重なってくるものがあります。

虫や動物や得体の知れない生き物のように過激になれる人間、そんな人間が愛され、許容される社会をふと熱望してしまいます。

国産小麦の給食パン…継続の力

今から20年ほど前、都内の某所に小若順一さんを訪ねて話を聞く機会がありました。当時の団体の名称は忘れました(現在「日本子孫基金」と改称)が、食品の放射線照射やポストハーベスト(収穫後の農薬散布)など、食品の安全性について啓発する市民団体で、小若さんはその団体の代表でした。

輸入小麦の安全性への疑問、国産小麦のおいしさ、そんな話をしながら「学校給食に国産小麦パンを導入できないだろうか」というような話題を持ち出した記憶があります。

小若さんの話では、価格その他の面で(ふわふわしたパンにならない国産小麦の特性が理解を得られるかどうかとか、それを克服する技術の面で難しいとか)、現状では非常に難しいという話でした(予想通りの答えではあったのですが、それでも聞きに行ってしまうところがしつこいというか、私のアホさ加減だなあと…)。

「安全性を考えたら国産小麦のほうがいいに決まっている。だけどどう考えても今は難しい」必要性と同時に現場の困難も知っている人の発言なので説得力がありました。「ヤッパリ無理か」とガッカリしたのを思い出します。

というように、学校給食に国産小麦パンを導入することは、当時としては考えるのも愚かといって良いほど、まったく現実離れした問題だったのです。

しかし、あれから20年。
今では学校給食に国産小麦パンを導入している学校があちこちで見られます。4~5年前、初めてそのニュースに接したときは感慨深いものがありました。
「変わるんだ!変われるんだ!」っと。

同時に、たぶんこれは給食の問題だけではないはず、とも思いました。

教育にしても、子育てにしても、問題と思っていることや疑問に思っていることは、地道に変える努力をしていけば、きっと変えることができる、そう気づかされたのです。

もちろん、何もしないでいては変わりません。

学校給食での国産小麦パン導入にしても、そこに至るまでには、多くの関係者のひとかたならぬ努力があってのことです。消費者の安全な食べ物を求める気持ちや環境問題への関心などが、政治を動かし、社会を変え、実現への力になったのだと思います。

あきらめないで、進むこと。
給食パンが教えてくれました。

名前を覚えるⅡ…教え子の名前をフルネームで

教育雑誌に紹介されていたエピソードから…。

ある公立小学校での出来事です。

A先生(養護教員)は子ども達の名前をフルネームで覚えることを日頃の目標にしていました。そのため朝会に出席するときも名簿を持って参加し、全学年の顔と名前を一致させるように努力していたのだそうです。

すると、それを知った校長先生が「私もやる」と言って、同じように子ども達の名前を覚え始めたそうです。養護の先生も校長先生も、担任と違って、いつもクラスの子ども達を見ているわけではないので、子どもと接する条件としては同じです。

そうしてしばらくしたところ、次第に校長先生の集会などでの話の内容が変わってきたのだそうです。

子ども達の様子がわかるようになってから、校長先生がとても講話を大事にするようになったのです。子どもの心に響く話に変わっていきました。

そんなとき、A先生はすかさず、「校長先生、今日の話はいい話でしたね。子ども達はこんな反応でしたよ」と声を掛けるようにし、校長先生にも一緒に「管理職として育ってもらう」のだそうです(=校長先生には内緒^^)。ベテランの養護の先生ならではの心強いサポートだなあと感心しました。また、素直に学んだ校長先生もすばらしいと思います。

「私は管理職であって教育者ではない」と公言する校長先生もいる現状を考えると、たとえそうした状況でも、やりようによっては一歩ずつ変えていくことができるのだと、良いお手本を見せてもらったような気がしました。

難しく考えず、できることから始めればいいんだ。まだまだやれることはありそう、そんな気にさせてくれます。

それにしても、人間関係ってちょっとのことで風通しが良くなったり、会話や笑顔が増えたり、居心地がよくなったりするものなんですね。

名前を覚えるⅠ…学生時代の体験から

私事で恐縮です。だいぶ古い話です。

大学時代のあるクラスの担当教官が、さほどの人数でもないのに、毎回出席をとるたびに私の名前を読み間違えるということを繰り返したことがあります。

名字を間違えるか、名前のリョウコをヨシコと読み間違えるかします。当時の名前(旧姓)は大本ではなく、難しい読みの漢字でもなかったのですが、毎回「鈴木」と読み間違えられました。

ときには、名字と一緒に名前も間違われるときがあって、「スズキヨシコ」と呼ばれたときなど、私のことだとは思わずに返事をしなかったところ、危うく欠席にされそうになったときもありました。以後、注意深くなり、「それらしき」名前が呼ばれるたびに、訂正を入れるようになりました。

名前の音読み・訓読みを間違えるくらいは仕方ないとも思いましたが、それだって出席簿にふりがなを付けたり、どこかに注意書きをメモしておくなどすれば、防ぐことのできるミスだったと思います。それもせずに、毎回出欠を取るたびに間違い、私が訂正を申し出るということを繰り返していました。

そのうちウンザリしてきました。

教室に座っているのが「〇野△子」であろうが「△田◇子」であろうが、先生にとってはそんなことはどうでもよくて、「学生なんて、カボチャやジャガイモが並んでいるのと変わりないのかもしれないなあ」と、だんだんとそんな冷めた気持ちにもなっていきました。

そのせいか、私は最初のうちは前列に座っていたのですが、次第に後列に座るようになり、授業に身を入れて聞こうという気持ちが薄れていきました。

先生が教え子の名前をちゃんと覚えるということが、どれくらい大事か、私のこうした体験からも痛感します。

という長い前置きなんですが、先日ある教育雑誌を読んでいたら次のようなエピソードを知って、ご紹介したくなりました。私の経験と正反対の教師の姿勢で、感動しました。長くなったので、明日の日記に回します。