セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 雑感 』

34度は暑くない?

暑中お見舞い申し上げます。

暑さにちなんで思い出すエピソードがあります。

昔(といっても20年くらい前でしょうか?)、
真夏の午後に・・・、住宅密集地の二階の部屋(エアコンの廃熱と、西陽が射しこむ暑い部屋)で・・・、アイロン掛けをしていた時のことです。
(↑この状況を想像しただけでも、汗がにじんできそうではありませんか?)

あまり汗カキでない私ですが、その時はさすがに汗だくで、ほんとうに頭がボーッとして、目が回りそうでした。ふと、温度計を見ると、34度だったのを覚えています。

その時の暑さと、温度の記憶から、私の中では34度は「暑い!」というイメージが、長年定着していたのです。

ところが、最近のお天気ときたら、38とか39という数字が珍しくなくなってしまいました。時には、気温40度などということもあります!(あの温度計は壊れていたのだろうか?)

かつては想像もつかない数字だったのが、今や、珍しくもない数字になってしまったと思うと、気温の上昇を実感できるし、それに順応していく人間はスゴイ!と思うのですが、喜んでばかりもいられません。

東北でミカンが収穫できたり、熱帯の病気が日本で発生したり、生態系のバランスがメチャクチャになってきている証拠もチラホラ見聞きするようになりました。

それに、真夏ばかりが長くなって、初夏や晩夏といった季節の趣が減っていくのは、やっぱりちょっと淋しい気がしてなりません。

「個人で出来ることは、まず省エネかな。まずエネルギーを効率よく使うことが必要ね。」

なんて考えていたら、「自分の頭も体力も効率よく使う。これも省エネよね」と、耳元でささやかれている気がしてきて…。
確かに、サッサと文章を書いてパソコンを閉じれば、省エネです!

・・・・・と、

暑さのせい(?)で何が言いたいのかわからない文章になりました。
ともかく、皆さま、お元気で!

役に立つとは

先日、新聞の投書欄に次のような記事が載っていました。

80代のお年寄りの元へ、市役所の高齢福祉課から「生活機能評価」という調査票が届いたそうです。その中に「あなたは、世の中の役に立っていると思いますか」という項目があったそうです。

この方は、体調が悪く、地域の役員も断ってしまっているし、特にボランティアもしていないので、「役に立っていない」に印を付けて提出したそうです。以来、「役に立つとはどういうことか」ということを考え続けていると…。

それにしても、すごい質問があるものだと絶句しました。もし私がこの質問をされたなら、なんて応えたらよいのでしょう。

「私は役に立っているかしら?」もし、役に立っていないと思ったら、そんな自分に対して、何をどうすればよいのでしょう。

「もっとしっかり世の中のためになることをしなさい」という意味なのでしょうか?それは、お年寄りに向けて、「もっと働け」という意味なのでしょうか?高齢で、身体の具合が悪くても、まだ働けと?

この投書の主も書かれています。
役に立つとはそもそもどういうことをいうのでしょう。

人の価値には、何かが出来るとかではなく、その人の存在そのものが価値であることだっていっぱいあります。むしろ、人間の価値というか存在意義とは、本来そういうものではないのでしょうか。

役に立つとか立たないとか、また、役に立つとはどういうことか、この質問の意味は、今でも私にはよくわかりません。

赤ちゃんの笑顔は役に立ちませんか?
病気でも、
歳をとっても、
働けなくても、
たとえ寝たきりだったとしも、
その人がいることで周囲が支えられ、生きる意欲をもらえることはありませんか?

質問を作った人に訊いてみたくなりました。

お別れ

「旧年中も、ワークショップ開催のご連絡をいただきまして、ありがとうございました。
今年が、よい年でありますように……。」

一通の年賀状が手元にあります。今年の元旦に頂いたものです。伊勢市二見ヶ浦の日の出が赤々と映し出されています。いつも通りのしっかりとした筆跡は、とても厳しい闘病中に書かれたとは思えないほどです。

このときすでに、かなりご病状は悪化していらしたのだと後に知りました。どんな思いでこの年賀状を書かれたかと思うと、胸が詰まります。

……………

昨日留守電が入っていました。Ha先生の訃報でした。
セレニティの開設間もない頃から、ずっと教師研修その他の催しに参加してくださった小学校の先生です。

瞑想会の初期からのメンバーで、2004年の音祭りにも遠方から参加してくださって、手拍子で楽しんでくださいました。茨城での泊まりがけの手塩研セミナーにも参加されました。

そしてここ数年、ご病気と診断されてからも、度重なる手術と治療で体力を消耗されつつも、ひたすら教育者として研鑽の道をと、あれこれ研修会に参加され、「少しゆっくりされては?」との周囲の声ももどかしそうに、再び教壇に立つ日を胸にがんばっておられました。

思い出します。
白浜での宿泊研修の折り、釣り竿とバケツを手にしたHa先生を写真にパチリ!ちょっと得意そうに見えました。その日一番釣れたのはHa先生。「昔とった杵柄ですね」とみんなで笑い合ったときの、先生の照れくさそうな笑顔。私の知っているHa先生の一番楽しそうな笑顔でした。ヤンチャな釣り好き少年が顔を覗かせて…。

Ha先生と私は同い年。なのに、なぜか先生と話すときは「です、ます」調になってしまったのは、先生の律儀で誠実なお人柄のせいだったかもしれません。

今でも、何だか信じられないのです。うっかりすると、また今まで通りに、ワークショップのお知らせをお送りしてしまいそうで…。

今はただ、感謝の言葉があるだけです。長い間、どうもありがとうございました。そして、さようなら、Ha先生。

これからもセレニティはがんばりますよ。先生の、教師として、最後まで教室の子ども達のことを思っていらしたお気持ちを大事にしつつ…。手塩研を見守っていてくださいね。

合掌

大晦日

あと数時間で新しい年がやってきます。

皆さまはどんな大晦日をお過ごしですか。

今年もいろいろなことがありました。
来年はどんな年になるのでしょうか。

新しい手帳とカレンダーを前に、明日からの一年に思いを巡らせています。

その時その時を大切に、与えられた出会いやチャンスに感謝してすごせたらと思います。
ワクワクドキドキの好奇心、いきいきエネルギーも忘れずに。楽しい時間は絶対必要ですね、どんなときも。

と、あれこれ欲張ってしまいそうな一年の締めくくりですが、この十分の一でも実行できますように…(と早くも腰が引けている大晦日)。

ともあれ新しい年がやってきます!

A Happy New Year!!
(↑ここだけ年が明けてからお読みください)

焚き火ライブ?!

キャンプファイヤーや焚き火って、なんだか人の心を浮き立たせるような、あるいは心に灯をともすような、そんな何かがあると思いませんか?

火と人間は、原始の昔から切っても切れない仲なのに、今では文明の発達によって、火という姿を見なくてもお湯が沸いたり、料理したりできるようになってしまいました。

それはそれでたいへんありがたいことなのですが、ちょっと淋しい気もします(私がへそ曲がりなため?)。

ロウソクの明かりもたまにはいいなあ、と思えるのと同じ心理でしょうか。

火も、炎も、何かを燃やすという行為も、生活の中から消え去って久しい気がします。

私が子どもの頃は、まだ薪でお風呂をたいたり、炭をおこしたり、落ち葉で焚き火をやったりしました。今、子ども達は直接火を見ることもないですねえ。

そんなことを思って「焚き火をしたいなあ」と言ったら、ある方曰く、

「焚き火?なんでわざわざやりたいの?ウチなんかついこの間も庭の落ち葉を燃やしたよ。ワサワサ落ちて落ちて、もう大変だよ!この時季。」

ですって!

武蔵野の面影が残る住宅地にお住まいの方は違いますねえ。いいなあ。(イヤミではなくホントに)

そこで言いました。

「都会では落ち葉を燃やす場所も、機会もないんですよ。子ども達が見たことがあるのはガスレンジの火くらいじゃないかしら」と。

ということで、焚き火ライブなんて、やってみたいなあって思っていました。焚き火を囲んで、オシャベリをする、音楽を聴く。廻りではバーベキューとかもできたらいいですねえ。

そして、ずっとそんな場所を探していました。そしたら「庭の落ち葉で焚き火」と言ったその方が、と~っても良い場所を教えてくださったんです。

もう~、一目見て感激!こんな場所を捜していたんですというドンピシャリの場所なんです。

さあ、どんなイベントになるでしょうか?まだまだ計画をじっくり練らないといけませんが。お楽しみに!!