セレニティカウンセリングルーム

梅以外にもウグイス

またまた、ご無沙汰してしまいました。

このところ、4月の瞑想会のご案内文に頭を悩ませています。「瞑想とはなんぞや?」と言う、当初の私自身の<???>を思い出しながら、少しでも瞑想に親しみを感じていただけるよう、無い知恵を絞っております。

会場の部屋は、明るくゆったりした和室なので、そんな春のひとときを思い描きながら作業をしているのですが、なかなか進まないで困っています。

それでも近々、アップするつもりですので、掲載したらお目通し下さいませ(というほど、大した内容ではないのですが)。

それはそうと、こちらでは梅がほぼ一斉に花開いてきたようで、あちこちで白、紅、桃色の梅を目にします。

それで思い出しました。

以前、秋口だったか、電車から降りたら、ホームでウグイスの鳴き声を耳にしてビックリしたことがあります。チャイムの代わりに流していたものだったのですが、季節外れな気がして驚きました。
それともウグイスって年中いつでも鳴くものなのでしょうか?

。。。。。。。。。。

気になって調べてきました。
2月から鳴き始め、8月か、場所によっては10月頃まで鳴くそうです。とすると晩秋から真冬にかけて以外は、鳴いてもおかしくないということになり、梅にウグイスどころか、梅以外にもウグイスなんですね。

でもやっぱり、最新建築のガラスとコンクリートの駅の中で、電車からホームに下りた途端にウグイスの声を聞くと、なんともちぐはぐな感じがしてしまうのです。本物のウグイスでないことがせめてもの慰めです。轟音を響かせて電車が滑り込んでくるホームは、本物のウグイスにとっては過酷な場所ですから。

紙芝居屋さんに後継者

東京下町で紙芝居屋のおじいさんが高齢のため引退し、若者が後を継ぐことになったという新聞記事を読みました。

若者は紙芝居に魅せられておじいさんに弟子入りし、今日まで紙芝居屋修行に励んできたそうです。

「これからも子ども達に夢を届けていきたいです」と後を継ぐことになったお兄さん。路地裏の一角には、紙芝居に集中する子ども達の後ろ姿に混じって、子どもを抱っこしたお母さんやお父さんの姿も見えます。子ども達の歓声まで聞こえて来そうな写真です。。。。。

後継者ができて良かった!これからもずっと続いていってほしいなあと思います。

今では紙芝居を知らない子もいるかもしれませんが、私が子どもの頃はホントに身近な存在でした。

紙芝居屋のオジサンが道ばたに自転車を止めて、駄菓子などを売りながら子ども達を呼び集めます。ある程度人数が集まったら、「さあ始まり、始まり~」と、紙芝居の世界が展開されていきます。

紙芝居の面白さは、なんといってもあの紙を引き抜く瞬間ではないでしょうか。「さあ、次はどうなるの?」と、ハラハラ、ドキドキしながら、オジサンが紙を引き抜く手元に、子ども達の目が集中します。

わずか10分足らずの「子ども劇場」でしたが、終わるとそれなりの余韻と満足感があって、小規模ながらやっぱり「一種の観劇」だったのだなあ、と今になって気づきます。

友だち同士オシャベリしたり、駄菓子を食べたりしながら、肩寄せ合って、肉声での語りに引き込まれていたあの頃。のどかな時代の産物で、このスピードのご時世にはそぐわないのかもしれません。
しかしだとしても、いつまでもすたれないでいてほしいと思います。

実は、孫がもう少し大きくなったら、紙芝居を見せてやりたいなあと思っているんです。………な~んて言いながら、孫をダシに私が楽しもうというコンタンなんですけどね。

エスカレーターの片側空け

いつの頃からか、エスカレーターの左右どちらかを空けて乗る、というのが習慣のようになってしまっています。

関東は左に寄って右をあける、関西はその逆。などと言われます。(ちなみに境目は岐阜あたりだとか)。

ともかく、そんな習慣が定着しそうになっていますが、先日、新聞の投書に次のような話が載っていました。

(要約)
投書の主は関東地方にお住まいのご高齢の方でした。左手が不自由で足腰も弱っているので、出かけたときは当然、階段でなくエスカレーターを利用することが多いそうです。そしてエスカレーターに乗るときは、右手で手すりにつかまり、身体を手すりに預けるようにして支えて乗るそうです。

ところが、ここで問題になるのが先程の習慣。関東の場合、右を空けて乗らなくてはならないとなるとたいへんです。不自由な左手で身体を支えなくてはならないのです。思ったように手すりをつかむこともできず、不安定なままで立っていなくてはなりません。ましてや、右側を掛け上がっていく人がちょっとでもぶつかったりしたら、それこそ生命の危険さえあります。

お年寄りは言われます。「どうか、エスカレーターに安心して乗ることができるよう、急いでいる方は階段を利用してください」と。

すごーく反省しています。

私も、急いでいると、ついエスカレーターの右側を階段のように上ってしまっていました。特に、朝の通勤時間帯に「次の電車に乗らないと乗り継ぎ電車に遅れる!」なんていうときは、若い人達に混じって、電車がホームに着いた途端、エスカレーターを駆け上がっていました(ハアハア息を切らせながら)。

でも、最近は階段を上ることにしました。確かにエスカレーターは「乗る」のであって、「上(のぼ)る」ものではないですものね。

そして、エスカレーターに乗った時は、ひたすらおとなしくジッと流れに身を任せております。遠からず、私もエスカレーターに大いにお世話になる一人ですから…。

受験と卒業の季節

受験生は、今まさに受験の真っ最中といったところでしょうか。
そして、一方では、卒業生を送り出す時期も間近に迫っています。学校はこの時季、ちょっと緊張感のある、清新、かつ慌ただしい空気に包まれています。

大学相談室に来ていた学生さん達も、何とか無事に卒業にこぎ着けました。やっぱり元気に巣立っていってくれるのは何より嬉しいものですね。

途中で相談室に来なくなった4年生の彼はどうしたかな―、
と気になりつつも、
たぶん元気になったから来る必要がなくなったのでしょうね―、それなら安心。
と、最後に会った時の印象を思い出しながら、想像を巡らせています。

ちょうどあの日は、他の学生の面談中だったので、「予約時間だけ入れていってはどう?」と声を掛けたけれど、「また来ます」と言って、それっきりになってしまったなあ。

たぶんあの調子なら単位も取れているはずだし、大丈夫なはず。来年また相談室に現れませんように(どうか卒業できていますように)…。
と、心密かに祈っています。

また、ある女子学生さんは、私の担当日の最終日に(会える日はその日が最後ということで)、授業はないのにわざわざ大学に挨拶に来てくれました。

晴れやかな笑顔は、今までよりさらに明るくなって、卒業と就職という二大イベントへの期待がふくらんでいることを感じさせました。

その日は雑談とよろず相談で終わりました。
「変なこと聞いちゃいますけど……」
「ぜんぜん違う話なんですけど…」なんて言いながら、いろいろ質問されて、私も熱く語ってしまいました。こんなオシャベリは私も楽しいです。

・・・受験と卒業のシーズンが、こうして過ぎていきます。
相談室から「みんなに春よ、来い!」 と願いつつ。

派遣村を出て実家に帰る選択は有る?

昨年暮れからお正月明け頃まで、日比谷公園に「派遣村」ができました。全国から集まった派遣切りにあった人達に対して、「行くところがなかったら実家に帰ればよいのに」と言う意見もあったと聞きます。

それは難しいなあ、と言うより無理ではないかなあ。と瞬間思ってしまったのは私だけでしょうか。

なぜなら、実家に帰れない(帰りたくない)事情があって、ネットカフェに寝泊まりしていたのでしょうから、仕事や泊まる所がなくなったからと言って、突然「実家に帰ろう」ということには、なかなかならないと思ったのです。

日ごろ、大学生の話を聞いていると、話題が直接家族との関係に触れていなくても、学生達と家族の人間関係の温度の高低みたいなものは伝わってきます。

特に家族の仲が悪いというのではないけれど、なんとなく疎遠…というような感じも多く見受けられます。

では、学生達が家族のことを無視しているのかというとそうではなく、むしろ気遣っているからこそ、自分が迷惑を掛けないようにしようとして、疎遠になっている。そんな感じです。

そして時には、同じ家にいてもほとんど話をしないとか、生活リズムが違うため顔を合わせる機会がほとんどないとか、食事は自室に持って行って一人で食べるとか、…家族というより同居人みたいな感覚に近いかなあと思ったりするときもあります。

これらは良い悪いの問題ではなく、人によって、状況によって、生活していると自然にそうなっていく、そんな現状社会一般の状況が現にあるということだと思います。

同じ一つ屋根の下に暮らしている家族の中であってもこうした状況です。仮にもし、ある人が派遣切りにあった場合、その人がふだん家族と連絡をとっていなかったとしたら、その状態からいきなり、「仕事も住む所もないから実家に帰ろう」とすんなり決められるものではない気がします。

そんなことを思っていた矢先、精神科医で引きこもり問題に詳しい斎藤環さんの講演を聴く機会がありました。

そしたら斎藤さんが、「派遣村の人達は実家に帰ればいいという話があったけれども、それは彼らの選択にないでしょうね」と、サラッと言われました。

思わず、「オっ?」と思ったのですが、斎藤さんの場合は、私とは少しニュアンスが違うのです。実家が逃げ込み先にならなくなったのが「ネットカフェ難民」と言われている人達だというわけです。

イギリスでは若年ホームレスが26万人だそうです。日本のネットカフェ難民は一応5000人とされています。

イギリスの場合、「パラサイトは恥」という文化社会の国なので、家に居続けるわけに行かず、ホームレス化することになっってしまったのであり、日本の場合、今までは「引きこもり」という形で家が抱え込む力を持っていたのだと言えます。

家に抱え込む力がなくなったとき(不況もその一因)、ネットカフェへ流れたのではないかというのが斎藤さんの意見でした。だから、また家に戻ると言うことは考えられないというわけです。

いずれにしても、家族、個人、社会、文化、いろいろな意味で、変化や柔軟な思考を鍛えられずにはおかない状況のように感じます。

柔軟な思考と変化で、この先いつまでついていかれるかしら?
と、ちょっと自分に不安。
&、ちょっとこれからの社会の変化に期待。期待というのは、思いがけず、既存の価値観や方法にないものが見つかるかもしれないという期待です。