暑中お見舞い申し上げます。
暑さにちなんで思い出すエピソードがあります。
昔(といっても20年くらい前でしょうか?)、
真夏の午後に・・・、住宅密集地の二階の部屋(エアコンの廃熱と、西陽が射しこむ暑い部屋)で・・・、アイロン掛けをしていた時のことです。
(↑この状況を想像しただけでも、汗がにじんできそうではありませんか?)
あまり汗カキでない私ですが、その時はさすがに汗だくで、ほんとうに頭がボーッとして、目が回りそうでした。ふと、温度計を見ると、34度だったのを覚えています。
その時の暑さと、温度の記憶から、私の中では34度は「暑い!」というイメージが、長年定着していたのです。
ところが、最近のお天気ときたら、38とか39という数字が珍しくなくなってしまいました。時には、気温40度などということもあります!(あの温度計は壊れていたのだろうか?)
かつては想像もつかない数字だったのが、今や、珍しくもない数字になってしまったと思うと、気温の上昇を実感できるし、それに順応していく人間はスゴイ!と思うのですが、喜んでばかりもいられません。
東北でミカンが収穫できたり、熱帯の病気が日本で発生したり、生態系のバランスがメチャクチャになってきている証拠もチラホラ見聞きするようになりました。
それに、真夏ばかりが長くなって、初夏や晩夏といった季節の趣が減っていくのは、やっぱりちょっと淋しい気がしてなりません。
「個人で出来ることは、まず省エネかな。まずエネルギーを効率よく使うことが必要ね。」
なんて考えていたら、「自分の頭も体力も効率よく使う。これも省エネよね」と、耳元でささやかれている気がしてきて…。
確かに、サッサと文章を書いてパソコンを閉じれば、省エネです!
・・・・・と、
暑さのせい(?)で何が言いたいのかわからない文章になりました。
ともかく、皆さま、お元気で!
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毎日暑い日が続いていますが、皆さまお変わりありませんか?
セミの鳴き声が、このところ一段とにぎやかになってきた気がします。そろそろ夏も後半になるのですね。
ところで、。。。。
春から取り組んでいた本が、出来上がってきました。
本になってみると不思議な気持ちです。文章が縦組みになって、挿絵や表紙などいろいろな要素が加わると、自分が書いたものでも、初めて見るような新鮮な感じがします。
本のタイトルは「きちんと『自分の気持ちが言える子』に」。副題に(~意思表示できる子は伸びる~)とあります。
副題がつくとまた違った印象になって、自分が書いたものなのに、新鮮で不思議な気持ちがします。
「子どもが思ったことを言いにくいのはなぜか、どんなところでつまづきやすく、どんなふうに手を貸してやったらよいのか、言えるように身近でできることはなにか―こうしたことについて、ふだんの生活に例をあげながら考えていきましょう。・・・・略・・・・
子どもがちゃんと言えることで親子の笑顔が増える―そんなコミュニケーションへの手がかりを見つけていただければと思います。」(まえがきより)
どんなふうに読んでいただけるか。ドッキドキです。多くのお母さん・お父さんに役立つ本になっているといいなあ。
私の所に届いたのは見本なので、皆さまに実際に手にとって頂けるのは9月になってからのようです。一般の書店ではなく、全国の生協を通じての販売になります。
その時は、改めてご案内させていただきますね。
とり急ぎ、ご報告まで。
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先日、新聞の投書欄に次のような記事が載っていました。
80代のお年寄りの元へ、市役所の高齢福祉課から「生活機能評価」という調査票が届いたそうです。その中に「あなたは、世の中の役に立っていると思いますか」という項目があったそうです。
この方は、体調が悪く、地域の役員も断ってしまっているし、特にボランティアもしていないので、「役に立っていない」に印を付けて提出したそうです。以来、「役に立つとはどういうことか」ということを考え続けていると…。
それにしても、すごい質問があるものだと絶句しました。もし私がこの質問をされたなら、なんて応えたらよいのでしょう。
「私は役に立っているかしら?」もし、役に立っていないと思ったら、そんな自分に対して、何をどうすればよいのでしょう。
「もっとしっかり世の中のためになることをしなさい」という意味なのでしょうか?それは、お年寄りに向けて、「もっと働け」という意味なのでしょうか?高齢で、身体の具合が悪くても、まだ働けと?
この投書の主も書かれています。
役に立つとはそもそもどういうことをいうのでしょう。
人の価値には、何かが出来るとかではなく、その人の存在そのものが価値であることだっていっぱいあります。むしろ、人間の価値というか存在意義とは、本来そういうものではないのでしょうか。
役に立つとか立たないとか、また、役に立つとはどういうことか、この質問の意味は、今でも私にはよくわかりません。
赤ちゃんの笑顔は役に立ちませんか?
病気でも、
歳をとっても、
働けなくても、
たとえ寝たきりだったとしも、
その人がいることで周囲が支えられ、生きる意欲をもらえることはありませんか?
質問を作った人に訊いてみたくなりました。
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今から10年位前に17才の少年犯罪が多発し、社会問題化した時期がありました。先日、その頃に読んだ一冊を読み返す機会があったのですが、問題の指摘はそっくりそのまま今に通じるので、ちょっとビックリしました。少しも古びていません。でも、こういうことで鮮度が落ちないなんていう現状は、ちっとも喜べませんね、少し長いですが、引用します。
『「親が子どもにしてやれることは何だろう」と考えたときに、思い浮かべるのが学歴である。しかし学歴を与えれば一生安泰かと言えば、そのようにはだれも信じていない。信じていないが、親としてやれるのはそれくらいしかない、といまだ学校ブランドにすがっている現状が、近代化を達成した日本の親の姿でもある。
だが子どもは砂をかむようなつらさや、虚しさを抱えているのだ。
「みんなと同じにしていなさい」と「個性を発揮しなさい」。
「とりあえずいい大学に入りなさい」と「いい大学に入っても先行きは分からない」。
こうした相反するメッセージに縛られて、子どもは身動きがとれない。子どもは二つのメッセージに引き裂かれている。子どもは学校に行く意味を探っているのだ。
なぜ、学校に行くのか。その問いに対して、経済成長を目指して走る中で、大人は「大学に行ってから考えなさい」という先延ばし論でごまかしてきたが、もはや近代化が達成された段階では、ごまかせなくなった。』
不登校、学級崩壊などの問題も、なぜ学校に行くのかという子ども達の問いを含んでいると、著者は指摘します。
そして、「不登校は逃げだ」と言われるが、
『問題の所在は子どもにあるのではなく、大人の側にある。・・・長い間、逃げていたのは私たち、大人であった』と結んでいる。
(「少年サバイバル・ノート」西山明 P45~P46)
書かれたのは今から8年前ですが、このまま今も通用しそうです。
学生たちの相談を受けていると、進路に迷う学生も少なくありません。授業に身が入らず、成績がふるわないとき、このまま続けるか、退学して他の選択肢(就職、専門学校)を考えるか迷います。
一般的に学生達は気持ちが優しく、親に学費を出してもらっているので、親の考えを最大限尊重しようとします。大半の親は、迷っているわが子を前に、「とにかく大学だけは出なさい」と勧めます。
かくして迷いつつも学生は、もう一度努力しようと心を決めます。そして努力はするのですが、しかしほどなく、「やはりこれ以上は力が出ない」となって、また相談室を訪れることになります。
では親に限らす、私たち大人には、こんな時いったい何ができるのでしょうか?
実際、相談室にいても、私ができることは限られています。心のケアという面を除けば、実質的な効果では、いろいろな視点での見方や考え方を提供し、具体的な情報や情報を得る方法を示すことくらいです。
ときには、一緒に途方に暮れて考え込んでしまうこともあります。無力感にさいなまれることもあります。
ただ、それにもかかわらず、毎週話しに来る学生を見ていて思うのです。
話したいときに、話せる場があることが大事なのではないかと。それも、本人の意見を否定せずに、耳を傾ける場所であることが…。
子どもや若者が、迷い悩んでいるとき、アドバイスできたり、解決への方策を提供できればそれに越したことはありませんが、もしそうでなかったとしても、一緒に悩んだり、考え込んだりすることそれ自体が、大事な時間なのかもしれません。
そうこうするうちに、本人が何らかの出口を見つけたり、少しでも意欲を持てるようになれれば、それこそが本人の歩みの一歩になると思うのです。
そうした時間の共有が、大人にも立ち止まって考える機会を与え、この混沌とした時代に何らかの変化をもたらすのかもしれません。
「長い間、逃げていた」大人に、逃れられない問いが返されてきました。少しでも、子どもや若者の声を聴く(=心の耳で聴く)時間を持てればと思います。
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最近観た、音楽がテーマの映画とDVDのご紹介。
「奇跡のシンフォニー」(上映中)
孤児院で育てられた天才的な音楽の才能を持つ少年が、まだ見ぬ両親を探しながら、音楽と出会っていきます。
「どこにいても、誰にでも、音楽は聞こえるよ」
「ボクの音楽は両親への答え」
心温まるストーリーと音楽の魅力、シンプルで素直に楽しめてリフレッシュさせてくれる、そんな映画です。
もう一つは、DVD。
「歓びを歌にのせて」(2004年スウェーデン映画)
登場人物が、人生の哀感を感じさせながらいきいきと描かれていて、無骨で、正直で、好感が持てます。
DV夫の暴力にめげず、仲間の励ましで、「自分を生きる」と力強く歌うヘレン・ヒョホルムの歌う歌がすばらしい。
歌声と曲そのものが素晴らしいのですが、私の仕事柄、DV被害者の女性が「自分の道を生きたい」と歌うところに、ことのほか感激してしまいました。
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